故瀬川士郎氏の思い出「道」が発行される


 
                             


 レオーネのセカンドテナーで、団内指揮者でもあった、故瀬川士郎氏の思い出の記念誌「道」が、ご遺族により作成さ

れました。平成17年1月に亡くなられてから5年経ちますが、平成23年5月21日に「瀬川士郎記念会」がキリスト教会で

開催されたのを機に、奥様を中心に3人のお子様たちが協力して纏められました。A5版70ページに亘る冊子で、瀬川

氏の生涯の道のりを瀬川氏自身の手記と、ご家族ご親族により書かれたエピソードの数々が記載され、約110枚という

豊富な写真が載せられていて、瀬川氏の充実した77年の生涯を記録しています。

 瀬川士郎氏は、昭和2年3月に5男1女の4男として、品川区で医師の家庭に生まれました。札幌市で小学校に入り、

仙台二高から京都大学医学部に進まれ、京大合唱団でファーストテナーのパートリーダーとして活躍されました。作曲

家の多田武彦氏が京大法学部で3年下におり、多田氏との接点もいろいろあったようです。この合唱団時代のメゾソプ

ラノのパートリーダーだった淑江様(現在女声合唱団「葦笛」のメンバー)と28歳の時に結婚されました。

 昭和47年から我孫子中央病院(現在の聖仁会病院)に産婦人科長として勤務され、アンサンブレ・レオーネが昭和

53年に創立された際の創立メンバーでした。

創立以来瀬川氏には、松島高士氏、西松友則氏と一緒にレオーネの三羽烏として、交代で合唱団の指揮を執っていた

だきました。

 平成12年頃から体調を崩され、胃がんの手術などをされましたが、その後平成17年1月15日に、77歳で永眠されまし

た。レオーネにとっては、まことに大切な人材を失いました。

 瀬川氏は、少年時代から合唱芸術の環境に育たれ、お兄様は、札幌市合唱連盟会長等を歴任されています。奥様も

含めご夫婦で合唱を楽しんでおられました。

 また瀬川氏は徹底した平和主義者で、「戦い」というコトバが含まれている、「いざ立て戦人よ」などの曲を歌うのを嫌

いました。ご家族で綺麗な花を観賞しに、あちこち旅行されたようです。

 また今回の記念誌に使われた写真などをはじめ、いろいろな資料をきちんと整理しておかれる几帳面な方でもありまし

た。我孫子合唱連盟の古い資料などが必要な時は、瀬川氏に聞けば資料を取り出して教えてくれることが多々ありまし

た。

 瀬川士郎氏の充実した77年の生涯を、このような記念誌にまとめられた奥様をはじめ3人のお子さん皆様に、拍手を

お送りしたいと思います。  (山下:記)

                        
               天に召される二ヶ月前の遺影                          結婚披露式で二人で歌われた

                

         
     第6回我孫子市合唱祭。瀬川氏の指揮で歌う                  湖北ミニコンサートで指揮をしながら歌う瀬川氏


              
           瀬川氏の指揮で歌うアンサンブル・レオーネ                       キリスト教会で聖歌隊の指揮もされていた


                             
                                      邦楽も名取の腕前でした




          
                                                           

                                           



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